花電車

子供の頃、最近までマイカル本牧があった辺り(今もあるのかな)は、そこだけがアメリカだった。ネットでサーチすればその頃の本牧の様子を伝えるコンテンツが沢山見つかるので詳しくは書かないけど(っつか単に面倒なだけだ)、芝生の庭に囲まれた一軒家が道路沿いに並び、スーパーマーケットやボウリング場があった記憶がある。クリスマスの時期になると、イマドキのイルミネーションほどではないにしても思い思いのデコレーションがされていて、たまに車から見た景色はホントに切り抜かれたような外国だった。

その頃住んでいた、JR根岸駅(もちろん当時は国鉄)にほど近い家からは、目の前の大通りを大きな黄色いスクールバスが過ぎていくのが見えたりして、今思えばそんなところもアメリカっぽかったな。それが今や、自分がアメリカに住んで、子供がその黄色いスクールバスを利用するようになるとはね。

当時のアメリカ人たちの何がスゴイって、ただ日本の街に住むのではなく、日本にアメリカを作っちまったこと。なにせ戦勝国だし土地も接収してたから可能だったんだろうけど、あの発想はないわ。

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そしてこれもかなり曖昧な記憶だけど、その頃はまだ横浜に市電、つまり路面電車が走っていた。ただ、憶えていることと言えば、その当時すでに車両がかなりボロかったことと、道路のど真ん中に島のように作られていた停留所くらい。どうやって停留所まで行ったんだろうな。どのみち道路を横切るしかないんだけどさ。

そんな儚い記憶のさらに向こうにかろうじて残っているのが、何かの折に車両に電飾を施して走っていた、いわゆる「花電車」。残念ながら色までは思い出すことができないものの、昼間はあんなにボロかった市電が夜になるとそこだけとても華やかで、本牧とは違う意味で別世界だった。

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最後にみた花電車は、多分市電最後の日。八幡橋あたりを人を沢山のせて走っていた姿と、「今日で市電終わりなんだね」という両親の会話の、線香花火のような微かな記憶がある。

ちなみに八幡橋の発音は、「ヤハタバシ」でも「ヤワタバシ」でもなく、「ヤータバシ」だ(それがどーした)。橋のかかっている掘割川ではハゼが良く釣れたっけ。昔は川の底が見えるほど澄んでいた、という母親の話が到底信じられないほど濁ってはいたけれど。

パスポートの更新のために久しぶりに訪れたダウンタウンで路面電車のそばを走りながら、そんなことを思い出した。

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