面接するプロ、されるプロ

大学の4年間がほぼバブルの最盛期にあたっていたために、今のような就活というものを全くせず、所属していた研究室の教授に「決めました」と一言伝えて就職が決まった。

もう少し正確にいうと、先輩のツテ、というかむしろ乞われて、全く興味もないままに何社か見学に行くには行った。大阪の某大手企業などは、交通費・宿泊費はもちろんのこと、やたら豪華なフレンチのディナーと、更にはカラオケにまで連れて行ってくれて、大阪を思いっきり満喫して帰って来たものだ。

他の会社も似たようなもので、施設の見学すらエンタメ化していて、某自動車会社ではテストコースをバスで走ったりとかもしてくれたっけ。アレを就活と言ったら罰が当たるわな。しかしスゲー時代だった。就職した翌年には一気にハジケたけど。

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その後、転職した時には何度か日を分けて面接をしたものの、その時でさえ採用試験のようなものを受けた記憶は無いので、日本の就活の何たるかについては正直今もよくわからない。

一方で、アメリカ企業の採用方法については、何しろ自分が面接をする側でしかも立場上何人も面接しているので、それなりに分かっているつもり。一般論として言えるのかどうかは知らないけど、自分の経験では大体こんな感じ。

まず、時期には関係なく採用枠と予算が確保され自社サイトやLinked-Inなどでポジションが公開されると、応募してきた人の履歴書が人事から転送されてくる。毎年新卒の採用枠が決まっていて4月に一斉に入社する日本のやり方とはここからして違う。

採用はそのポジションが属する部署ごとに行われ、スポンサーであるその部署のマネージャーが面接と採用についての責任を負う。人事はそれをサポートしてくれるに過ぎない。

で、コレはと思う履歴書があれば、人事に「ちょっと電話で話してみてよ」ということに。その結果、人事のスクリーニングにパスすれば、次に採用するマネージャーが電話かビデオ会議で軽く話をする。

ただ、この人事のスクリーニングというのがクセ者で、オイオイ世間話でもしてたのかよと思うほど、全然期待値とかけ離れた人が通ってしまうことがある(そのくせ人事は「This candidate is really great!」とかヌカすのだが)。その場合、マネージャー自ら「ゴメン、キミちょっと違うわ」ってことを伝えて試合終了。

 

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話した結果が良さゲだった場合、そのポジションと関わりのある他部署のマネージャー5,6人に「この人と話してくんね?」と声をかけて、いよいよ正式な面接に。

パンデミック以前なら、この時点で実際にオフィスに来てもらって、声をかけた他部署のマネージャーが一人ずつ、入れ代わり立ち代わりその候補者と面接をしたのだが、コロナ禍を経た今、この手続きもほぼほぼビデオになった。そのため、以前だったら面接に来る人はほぼ半日インタビュー責めだったのが、今はずっとゆとりが出来て、面接の負担も多少は減ることに(同じコト何度も聞かれるのは変わらない)。ただその反面、時間がかかるようにはなったけど。

で、面接してもらったマネージャー達のフィードバックをもとに次のステップに進むのだが、これがまたなかなか一筋縄ではいかない。

「超クールだったから、さっさと雇え」っていう人もいれば、「うーん、ちょっと違うかも」っていうものあり、「アンタがいいんならいいんじゃない」などというまさかの丸投げもたまにある。これが同じ候補者に面接した結果かよ。

結局最後は採用するマネージャーが決めるわけだけど、ホントこればっかりは雇ってみないと分からない部分も大きくてもはや一種のバクチ。しかも面接を受ける候補者たちも、日本の就活生のような純粋で素直な人たちばかりではなく(いや就活生がホントにそうなのかは知らんが)、大体3,4年で転職するのがフツーのシリコンバレーでは、面接慣れしている人がほとんど。中にはどんなムズカシイ質問に対しても澱みなく素晴らしい受け答えをする、いわば「面接されるプロ」のようなのもいてだな、どっちが面接してるんだか分からなくなることさえあるワケだ。

忘れられないのが、事前に面接に来るマネージャーの名前を人事から聞いて、FacebookやLinked-Inでチェックしてから面接に来たヒト。どちらもやっていなかった僕は、「アナタはどうしてSNSで見つからないんですかっ」と怒られてしまった。ほっとけよ。

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そもそも質問する内容も、そのポジションに関わるコトに限られていて、カリフォルニアでは年齢・性別・宗教・出身地・家族構成など、個人に関する質問はご法度。容姿に関してのコメントなんてもってのほかで、趣味嗜好の類も基本的に聞いてはイケナイ。採用面接なんだからアタリマエだと、アタマでは理解できても、なんかね。マネージャーはこういう面接でのルールについて定期的にトレーニングを受けることが義務付けられてもいる。

あれ、なんか終わらねーなコレ。つづく。

花電車

子供の頃、最近までマイカル本牧があった辺り(今もあるのかな)は、そこだけがアメリカだった。ネットでサーチすればその頃の本牧の様子を伝えるコンテンツが沢山見つかるので詳しくは書かないけど(っつか単に面倒なだけだ)、芝生の庭に囲まれた一軒家が道路沿いに並び、スーパーマーケットやボウリング場があった記憶がある。クリスマスの時期になると、イマドキのイルミネーションほどではないにしても思い思いのデコレーションがされていて、たまに車から見た景色はホントに切り抜かれたような外国だった。

その頃住んでいた、JR根岸駅(もちろん当時は国鉄)にほど近い家からは、目の前の大通りを大きな黄色いスクールバスが過ぎていくのが見えたりして、今思えばそんなところもアメリカっぽかったな。それが今や、自分がアメリカに住んで、子供がその黄色いスクールバスを利用するようになるとはね。

当時のアメリカ人たちの何がスゴイって、ただ日本の街に住むのではなく、日本にアメリカを作っちまったこと。なにせ戦勝国だし土地も接収してたから可能だったんだろうけど、あの発想はないわ。

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そしてこれもかなり曖昧な記憶だけど、その頃はまだ横浜に市電、つまり路面電車が走っていた。ただ、憶えていることと言えば、その当時すでに車両がかなりボロかったことと、道路のど真ん中に島のように作られていた停留所くらい。どうやって停留所まで行ったんだろうな。どのみち道路を横切るしかないんだけどさ。

そんな儚い記憶のさらに向こうにかろうじて残っているのが、何かの折に車両に電飾を施して走っていた、いわゆる「花電車」。残念ながら色までは思い出すことができないものの、昼間はあんなにボロかった市電が夜になるとそこだけとても華やかで、本牧とは違う意味で別世界だった。

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最後にみた花電車は、多分市電最後の日。八幡橋あたりを人を沢山のせて走っていた姿と、「今日で市電終わりなんだね」という両親の会話の、線香花火のような微かな記憶がある。

ちなみに八幡橋の発音は、「ヤハタバシ」でも「ヤワタバシ」でもなく、「ヤータバシ」だ(それがどーした)。橋のかかっている掘割川ではハゼが良く釣れたっけ。昔は川の底が見えるほど澄んでいた、という母親の話が到底信じられないほど濁ってはいたけれど。

パスポートの更新のために久しぶりに訪れたダウンタウンで路面電車のそばを走りながら、そんなことを思い出した。

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プロのお作法

今となってはずいぶん前のこと。ある夜、シャワーを浴びて出るときにお湯が止まらなくなった。なんかこう、水量を調節するノブが滑る感じ。でも少し力入れて回したら止まったので、きっとノブの中のプラスチック部品か何かが劣化して滑ってんだろ、くらいに思って翌日近所の巨大ホームセンターで部品を買ってきた。

ところが、ノブのネジがすごくヘンなネジでウチにある工具では回せないことが判明。泣く泣く、ときどきお世話になってるPlumber、要は水道屋さんに来てもらったのが壊れてから二日後の朝。築何十年も経っているボロ家のコンドミニアムのこと、水道系のトラブルは半年に一度くらいはあるので、今度も大したことないと思っていた、その時は。

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Plumberが言うには中の部品が壊れてるとのこと。半信半疑だったのだが、とりあえずノブを外して確認したところ、やっぱり中の部品(カートリッジというらしい)の問題であることが判明。さすがプロ。疑ってごめん。

つづけてPlumberが言うには、カートリッジの不具合の場合、水を止めないと直せないと。へー… って、オイオイ、ウチはコンドミニアムだから、メンテナンス会社に連絡して日時を決めて止めてもらわなきゃいけないじゃん。もっとも、そのこと自体は同じコンドでリモデルしているお宅があるときには必ずあることなので、めんどくさいな、くらいにしか思わなかった、その時は。

ところが何を思ったか、Plumberの職人さん(ちなみに職人さんとマネージャーの二人で来た)がその壊れたカートリッジをちょっといじったものだからさあ大変。どうやってもシャワーからの水が止まらなくなってしまった。で、マネージャーが文字通り青い顔になって、「風阿弥っ!急いでメンテ会社に電話して緊急で水止めてもらって!」ということに。全然プロじゃねーな、オイ。

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しょうがないので、大急ぎでメンテ会社に電話。コロナ禍で在宅勤務全盛の折も折なので繋がるかどうかすごく不安だったけど、奇跡的に電話に出てくれて、しかるべき担当の方に繋いでもらえた。神に感謝。

さらにもっと奇跡的なことに、みんな在宅で待機中にも関わらずウチの建物のメンテ担当サービスマンがすぐ来てくれることに。神に感謝。

ほどなく本当にサービスの人が来て(実は信じてなかったオレ 笑)曰く、「建物の半分ほど断水するので、オマエ今から一軒一軒ノックして伝えて回れ!」とのこと。

「は?今なんつった?」
「一軒一軒回るんだよ」
「僕がですか?」
「そうだよ、さっきからそう言ってるだろ」

オイオイ、マジかよ。でも確かにいつもだったら二・三日前に断水の通知がドアに挟まってるけど、抜き打ちだとそんな余裕は無いわな...

ってことで、行ったよ一軒ずつ。でも、半分くらいかな、ドア開けてくれたの。他は留守(それもまだまだリモートワークの多いこのご時世ではヘンなハナシ)もしくは居留守(笑)。話ができた人たちには、Emergencyのため間もなく水が止まること、大体15分くらいで復旧すること、迷惑をおかけして申し訳ないこと、等々を決死の思いでエーゴで伝えた。お陰で、後半はだんだん滑らかに言えるようになっていた。

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建物の元栓を閉めたら水はすぐ止まったのだが、なかなかお湯が止まらない。サービスの人は一旦帰っちゃったので(帰るなよ、この一大事に)、またメンテ会社に電話して、担当に繋いで...っていう手順を繰り返し、ようやくサービスの人のケータイに電話したころにはやっとお湯も止まっていた。この間約40分くらい。どこが「15分で復旧」なんだか。

水とお湯が止まった後、カートリッジの交換はものの数分で終了。オイオイ、このためにこんだけ大騒ぎしたのかよ。で、水とお湯の元栓を元に戻してめでたく全復旧。結局全部で1時間ちょっとかかったような。最後にPlumberのマネージャーが言うに、「オレはヤツ(=相方の職人のこと)に言ったんだよ、カートリッジに触っちゃダメだって。アイツも年取ったなぁ。」だって。

最近DIYで家の修繕を始めた友達曰く、「失敗しても最後は信頼できるプロに頼めばいいから」。そのへんが、プロがモノを壊しにくるアメリカとは決定的に違うところだな。

ベジタリアンのせいじゃない

パンデミック以前は、ほぼ四半期に一度は他の社員たちと一緒に日本に行くのが普通だった。次がいつになるのか、そもそも次があるのかどうかもよくわからなくなってしまったが、これまでも、そして多分これからも、出張で一番アタマが痛いコトといえば、ラッシュ時の移動でも、訪問先との時間調整でもなく、もう圧倒的に食事。

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先方がランチやディナーをセットアップしてくれるとき以外は、刻々と変わる予定を睨みつつ、会議中であろうとなかろうと、日本法人のアドミンとテキストで昼食と夕食の手配をするのがいつものパターン。なにしに出張してるんだか。

同行者の多くが何度も日本出張を経験しているとはいえ、VPやらGMやらを吉牛やココイチに連れていくのはさすがに気が引ける。一人だったら毎回そういうところへ行って、日本を満喫するんだけどな。

「ラーメン食べたい」 ―  いいね!どこにしようか。
「お造り出してくれるとこない?」 ― いいけど、予算超えたらよろしく。
「戒律で豚肉がダメなんだけど」 ― そーか。じゃ、豚カツはやめとくね。
「アタシ、ベジタリアンなんだけど別に気にしないで」 ― ありがとう。じゃ遠慮なく。
「僕もベジタリアンだけど、鶏肉は食べるから」 ― それ、ベジタリアンじゃねーだろ…

実際、同行者の中に一人でもベジタリアンが混じっていると、ただでさえ面倒な状況が一気にフクザツになる。多くの場合、魚の出汁を使ってる店はほぼ全滅。つまり、和食には蕎麦屋も含めて行けないことが多い。ちなみにそれでも本人の強い希望で天ぷら屋さんに行くと(もちろん野菜天のみ)、天つゆがアウトなので図らずも塩だけで食べるという妙に通な食べ方に。

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そんなこともあって、取引先主催のディナーがあるときはホントにホッとする。大抵、先方が気を遣ってくれて、「久しぶりの日本でしょうからお好きなものをどうぞ」と言ってくれるのだが、「ではお言葉に甘えて、セブンイレブンのおにぎりと、中華もしくは和風ドレッシングのサラダ。あと何でもいいのでコンビニスイーツと、最後ににアイスチョコモナカだけは忘れずにお願いします」などとは口が裂けても言えない、チキンなオレ。

そしてここでも、ベジタリアンがいると結局いつも精進料理っぽいモノに落ち着くことに。もちろんそれだってすごく美味しいし、別にベジタリアンに非は無いのだけれど、ココロに付きまとって離れないコレジャナイ感。

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お互いそのあたりの苦労を知っている件のアドミンはいつも「今回もお食事楽しんでってくださいねー!」と満面の笑みで言うのだが… いつかしばいたる。

家電劇場:冷蔵庫編

冷蔵庫って数ある家電製品の中でも壊れにくいモノの筆頭なんじゃないかと思うんだけど、それはとりもなおさず、壊れたときのダメージが極めて甚大だったりもするということ。

ウチの冷蔵庫がなんとなく挙動不審に陥り始めたのは2月ごろ。思えば15年くらい使ってるし、もうそろそろ寿命でもおかしくないかなと思いつつ、だましだまし使っているうちにとうとう冷凍庫のモノがみんな溶け出す大惨事が発生。で、やむにやまれず近所の巨大ホームセンター(もっともこの国には巨大なモノしかないけどさ)で新しい冷蔵庫を購入したのが2月の終わり。その時点での納品日が確か10日後。長っ。

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で、納期予定日の前日に留守電が入っていて「明日のデリバリーはできません」とのこと。オイオイ、そんだけかよ。で、配達業者に電話すると、納期の遅れでモノがまだ倉庫に届いていない、と。いつ届くかわかんないから、オマエんとこに納品できる日も分からん、と。ゴネても仕方が無いので次の電話を待っていると、3日後に納品されるとの連絡が。それって買ってから2週間も経つじゃん…

そして納品当日。そもそも前回のように前日に確認の電話があるのがフツーなのに、何の音沙汰もなし。もう長年の経験でわかるのだが、これはもう悪い予感しかない。で、配達業者にまた電話すると、「オーダーは入ってるけど配達の予定がない」だって。これまた長年の経験でわかるのだが、その担当にいくら話をしてもムダなので、マネージャーに代わってもらうと、

「申し訳ないけど来週まで待って」

とのこと。更には

「アタシが責任もって前日に連絡入れるから」

ありがとう、頼りにするよ。

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で、再設定された納品日の前日。予想はしていたけど連絡など無く、なんとなくまたイヤな予感が。でも、あのマネージャーさんの落ち着いた口調に一縷の望みを託して翌日を待つことに。当日になって、Webのトラッキングステータスが変わらないので、再度電話。するとまさかの「記録なし」との返答が。オイオイ、いい加減にしてくれよ。ここで件のマネージャーが再び登場。

「システムに入力したアタシの記録がなぜか残ってないんです」

「でももうこれで二回目じゃん」

「一回目の遅延はアタシの落ち度ではありません」

「そりゃ分かるけど、我慢にも限度があるでしょ」

「それは非常にフェアな発言だと思います」

いやいや、この際フェアかどうかは問題じゃないから

で、なにやらいろいろと手配をし直してくれたようで、それでもそこからまた3日後になって、ようやく納品。買ってから届くまに3週間ってナニ。

それにしても古い冷蔵庫、壊れていたにも関わらずよくやったぞ、ジョー!

Kingdom of Diversity

僕の住んでいるサンフランシスコ・ベイエリアは、その土地柄のせいかアジア系の人口比率がかなり高くて、中にはアジア系がマジョリティとなっているカウンティもあるほど。そしてこれもシリコンバレーを抱えている土地柄か、今の代でアメリカに移住してきた人たちが多い。

だからかどうかは知らないけど、常識というか空気というか、「言わなくても分かるコト」っていうのがあんまりなくて、結果的に自由で何でもアリなカルチャーとなっている…ような気がする(ただその分、自分のようにプロジェクト管理を生業としている者にはムダな苦労が絶えないんだけど)。

なので時折目にする、「アメリカ人ならこうする」とか、「アメリカ人の常識では」とかいうように、「日本人」と同じ感覚で「アメリカ人」ってまとめてしまうのは、自分の中では戦闘機も旅客機もグライダーもヘリコプターも、挙句は気球も飛行船も全部まとめて「飛行機」と呼んでしまうようなモヤモヤがつきまとう。もしこれが「シリコンバレーの香港系アメリカ人なら多分こうする」とか、「デーブ・スペクターならこうする」だったらまだわかるけどさ。

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そしてここでは多様性が及ぶ対象も人種に限らない。例えば至る所バリアフリーなのはごく当然として、昔からLGBTQ+に関してもとても寛容、というか「割とフツーに存在している感」が強い。実際、同じ部署の20人にも満たないメンバーにだって同性婚がいるし(ちなみに彼は転属してきたときに旦那とのナレソメから現在に至る経緯をまとめた冊子を配ってくれた… ありがとう、でも誰もそこまで聞いてねーから)、そもそも上司からして同性婚だし。

こういう例えがいいのかどうかわからないけど、経験的に日本でクリスチャンの人に会うよりも、はるかに高い確率でLGBTQ+の人に会うのがベイエリア。職場でも、ガタイのイイ男性の会話の中に「my husband」っていうフレーズがごくフツーに出てくるし、周りもアタリマエに受け取って話が進んでいく。

つまるところ、こういう自由さがすごく好きで、この地でダラダラと20年以上も過ごしてしまった。

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そういえば人種や民族については忘れられない思い出がある。

大学生の夏休みにロンドンで道楽暮らしをしていたときに通っていた語学学校である日、隣に座っていたずっと年上の学生が「オマエの国は多民族国家なのか?」と聞いてきた。

「基本的に単一民族だけど、朝鮮半島からきた人も結構な数いるし、北の方に行くとネイティブの民族もいるよ。」

「そうか。そういう人達とはうまくやってるのか?」

「表立って揉めることはあまり無いけど、多少はぶつかることもあるよ。」

彼の次の一言に僕は言葉を失った。

「あのな、民族間で争うのは当たり前のことなんだよ。他の民族とうまくなんか絶対にやれるわけがない…」

うーん、そうかもしれないけど、そうじゃないほうを僕は信じたい、とその時の僕は言いかけてやめた。

その学生が来た国の名はユーゴスラビアと言った。